NBAには、ドラフト制度があります。
その制度は、前年の成績が悪ければ悪いほど、ドラフト選手の上位指名できる可能性が高いというもの。
ドラフトで素晴らしい選手を指名できれば、チームを劇的に強化することもできます。
しかし、中には期待され上位指名されたのに、まったく活躍できなかった選手も多く存在するのです。
そこでこの記事では、過去にNBAドラフトで上位指名されたのに、まったく活躍できなかった選手をスポーツニュースとしてピックアップしていきます。
ラルー・マーティン(1972年1位指名)

NBAドラフトのはずれ選手の話題になると、真っ先に名が挙がるのがこの「ラルー・マーティン」です。
マーティンは、大学時代にUCLAのビル・ウォルトンと渡り合い、カレッジで高評価を得ると見事1972年のドラフトで、ポートランド・トレイルブレイザーズから一位指名を受けました。
しかし、その前評判とは裏腹に試合では大苦戦。
先発どころか、同期ドラフト31位指名のロイド・ニールとのポジション争いにも敗れてしまうと、徐々に出場時間は削られ、最終的には4年でNBAキャリアを終えることとなり、平均成績は5.3点、4.6リバウンド、0.51ブロックにとどまることとなりました。
しかも、この年はジュリアス・アービングやボブ・マッカドゥーといった後の殿堂入り選手も存在し、ブレイザーズは大きなチャンスを逃す結果となったのです。
クリス・ウォッシュバーン(1986年3位指名)
NBAドラフトでは、選手の能力だけでなく、普段の素行に関しても評価の対象となります。
「クリス・ウォッシュバーン」は、バスケット能力は秀でたものがあったものの、大学時代にステレオを盗む、練習態度も劣悪などというように、素行の悪さが問題となっていた選手でした。
しかし、それを踏まえた上でウォリアーズは、3位で彼を強行指名したのです。
ウォリアーズからすれば、ウォッシュバーンのバスケット能力のほうが魅力的に感じたのでしょう。
しかし、ふたを開けてみれば薬物検査に3年間で3度引っかかるなど、NBA入り後も彼の素行の悪さの改善の余地は見られず。
最終的にはリーグから永久追放処分を受け、2年でNBAを去る結果となってしまいました。
アンソニー・ベネット(2013年1位指名)

近年では、群を抜いて「外れドラフト選手」と称されるのが「アンソニー・ベネット」です。
クリーブランド・キャバリアーズがPFを欲し、将来性を買って一位指名を行ったのがベネットでしたが、これが大きな期待外れ。
プロ1本目のフィールドゴールを決めるまで5試合を必要とし、その後はキャブスから放出されると4年間で4チームを渡り歩きました。
NBAから離れていた時期もあり、19年7月にはロケッツと契約を果たしましたが、トレーニングキャンプ中に解雇されてしまい、現在はフリー選手として奮闘中です。